あと1ヶ月ほどで16歳になる犬と暮らしています。
ここ最近具合がよくなくて、
なんとも悲しい気持ちになります。
私と主人にとっては、
結婚してすぐ一緒に暮らし始めた子なので、
大切な家族で、かけがえのない存在です。
死は存在しない。と頭では理解していても、
心での理解ではないので、
目の前にこういった出来事が起こると、
なんとも…(汗
むずかしーーーっ!
でもこうして心を取り乱す自分もいれば、
その後ろでその私を見つめる自分もいますね。
取り乱す私を「乱子」、
乱子をじーっと見つめるもう一人の私を
「ハイ子」としての会話を書き出すとこんな感じかなぁ。
ハイ子ってハイヤーセルフのハイ子ね♫ そのままやん! 🤣
乱子:「この不快感(感じたくない悲しみや不安)を、どーーーーにかせなあかん(しないとダメ)!ヤバイ、”死”は存在しない。“死”はない。“死”はない。そうや、“死”はないねん!だから悲しみを感じなくてもいい!そうや!(パニクってます)」
ハイ子:「….。」(じーっと乱子を見ている)
乱子:「あ、そうや。瞑想しよう。あ、あのスピリチュアルの動画みよう。あ、気功しよう、あ、タロットひこう!(安心できるメッセージを必死で探す)」
ハイ子:「….。」(じーっと乱子を見ている)
ハイ子さんは、私に何も言いません。
でも、私は*ハイ子さんの存在を知っています。
スピリチュアルっぽい事を、
何ひとつ言ってくれない”ハイ子”だけど、
今はそれでいいのですね、きっと。
*ここではどうしてもそのような表現になってしまいますが、ハイ子は私であり、分離した存在、または上や下、高貴な存在などのレベルの違いもありません。
🐣 🐣 🐣 🐣 🐣 🐣 🐣
友人が教えてくれた本を読んでいました。
私には難しいと感じるところもありますが…
ブッダは自分の死期を悟った際、「*無相心定(むそうしんじょう)を身をもって体現して、生活しよう」と思った、と伝えられています。
*不安要因を思考に上がらせない瞑想
あのブッダでさえ、「愛する仲間と離れたくない」と不安を感じる一瞬もあるのですね。
だったら、私にもそういう一瞬があっても大丈夫。
ブッダに近づく死を悲しむ”弟子”の阿難に、ブッダは言います。
「私が死んでも他人ではなく、自分自身をたよりにし、仏法を拠どころにして生きていきなさい。(自燈明・法燈明)」
そしてブッダはこの自燈明・法燈明が、
「死にゆくものと、遺されるものが互いに苦しみを乗り越えていくために不可欠なもの。」
だとおっしゃいました。
そっか… 😌そうやね。
私にとって、愛犬はブッダですね。
ちなみに、私は仏教徒ではありません。宗教団体には興味ないです。
なんだかとりとめのない文章を読んでいただき、
ありがとうございました 🦩
💛イエローハーツ💛
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